Wednesday, April 26, 2006

去年の夏日記(プリセッショナルコース参加中)

2005年7月30日
  タイバンコクからイギリスヒースローへ向かう。およそ約12時間の飛行。偶然、隣の席に「ロン」というタイに毎年訪れているおじさんが座り、仲良しになる。最初は無口だったが、話しかけると、話に乗ってくれた。60歳前後のおじさんで、サンタクロースのようなおじさんだ。ロンはマンチェスター周辺に住んでいる。イギリスに着く前にいろいろとイギリスについて教えてもらう。また、公衆電話が使えるように1ポンド、50ペンス、20ペンスなどのコインをもらう。そして、一週間後私が無事かどうか確認の電話をするとのこと。ロンドンのヒースロー空港で、私の荷物があまりにもたくさんありすぎ、持ってくれる。友人のマイケルと一緒にタイにクリスマスにまた行くらしい。もう16年ぐらい通っているらしい。以前ブライトンに住んでいたらしい。ヒースロー空港は以外に小さく、暗く、汚かった。もしかしたら、バンコクより質が落ちる。ヒースローに着き、バスターミナルに行き、ブライトン行きのチケットを買う。(私だって初めてのイギリスなのに、知ったげに、エレベーターの中で、「ここよ」といっしょにエレベーターに乗ってた人に言う。)20ポンド。所要時間2時間なのに、結構高い。物騒なことに、いきなりパトカーがサイレンを鳴らし、一台のバスを囲み、犯人らしき少年が手錠にかけられ、出てきて、話をしていた。テロの余韻が残っている。夏というのに、風があり、寒く、雨が降ってきた。冬が思い知らされる。1時間もバスを待たないといけないので、ホームステイ先に遅れると連絡する。ちょうどロンがくれたコインが役に立った。また、小さなコインから使うといいとアドバイスを受け、そのとおりにすると1ポンドあまった。日本に電話しようと1ポンド公衆電話に入れたら、というか入らなかったので、無理やり押し込んだら、つまった。使えなくなった。誰かに言おうと思っても、スタッフがいない。近くに日本人のおばさんがいたので、話し掛けようとしたら、目をそらされた。誰にも言えないまま、その場を発つ。2番のホームで待っていると、誰かの怒鳴り声が、私が使った公衆電話のあたりから聞こえた。でも、壁があって見えない。もしかして、私の壊した公衆電話で、見つけた空港のスタッフが怒っているのか。もしかして、私は捕まるのか。気が気でなかった。ブライトン行きのバスにイギリス人と結婚して在住しているらしきタイ人がいた。でも、旦那が急いで、あまり話したがらず、話ができなかった。その後、やっとスーツケースをバスに入れ、バスに乗り込む。8時半発。バスの運転手が少しクレイジー。どう考えても尋常ではない。車が渋滞で半分しか右折できず、バスが直進できない。運転手は何度もクラクションを鳴らすが、動かない。運転手は無理やりバスを進め、車にぶつかりそうなぎりぎりの所を運転。しかも、そんなことで、乗客を笑わそうとする。また、バスに乗るときもチケットがない乗客をおもいっきり拒絶し、恐い。精神異常者っぽい。乗客も運転手を笑う。運転手はそれが嬉しいらしく、さらに笑わそうとするが、ユニークではなく、おかしい!しかも、急にバスを止めて、叫ぶ。ブロークンイングリッシュでわけ分からないので、無視。予定より遅れ、11時にブライトン着。バスから最後に降りる。降りて、スーツケースを受け取ろうとしたら、私のだけない。えーーーーーーー!!!!!!!何が起こったのかさっぱり分からず、運転手に聞くと、誰かが間違えて持って帰ったか、盗んだんだろうという。間違えて持って帰ったら、一つ荷物が余ってるはず。運転手は警察に行くか、待つしかないというが、何も手伝おうとしない。関心を持たない。自分の責任を感じていない。最後に残っていた乗客に聞くと、実はヒースロー空港内で、運転手はバスを止め、荷物を入れていたドアが開いているので、自分の荷物があるかどうか確認するように言ったらしい。だから、きっとヒースローに落ちている可能性があるので、電話をしたら見つかるかもとアドバイスをもらう。運転手は何も手立てをとろうとしないし最悪。結局私のほうから、見つかったら、滞在先に連絡するよう連絡先を渡し、彼の連絡先をもらい、いったん引き上げる。荷物はプリンター、ノートパソコン、手荷物だけで、タクシーに乗り、ホームステイ先に向かう。タクシーの中でも、スーツケースについて話す。タクシーの運ちゃんは私の話を信じ、真剣に聞いてくれ、同情してくれた。気分はブルー。スーツケースの中は大学の書類や本、服、靴、1年分のものが入っていた。運ちゃんは協力的だったので、チップ込みで10ポンド渡す。ホストマザーのウェンディに会うと、実はその運ちゃんと高校時代の同級生だった。びっくり。ウェンディーは想像していたより、若く、おしゃれな人だった。電話では結構年のいったおばさんという感じだった。ウェンディーも会ってすぐスーツケースの件で同情してくれた。土曜日ということで、電話代が安いらしく、空港、警察、バス会社などに電話をしてくれた。ウェンディーの家はとってもきれいにしてあって、しかも白を基調として、アンティークにこっていた。特にランプがたくさんあり、大きな電気はあまり使わず、雰囲気がよかった。私の部屋も超かわいい。白いおしゃれな壁に机が二つ。白の家具。また、ろうそくや絵、ランプ、おしゃれなアートが置いてある。でも、11時半ぐらいに着き、ウェンディーはいつも10時に寝て、土曜日はサイクリングをするそうで、ちょっと深夜に到着したので、眠そうなのと、はっきりしんどいと言った。はっきり言うんだなと思った。

7月31日 日曜日
 朝食はシリアルにフルーツ、ヨーグルトを入れて、食べた。それと、オレンジジュースとコーヒー。結構朝は軽い。スーツケースのことが気になり、おもしろくない。取り合えず、また、いろんな可能性のあるところに電話をしてもらう。が、連絡しても落し物はないとのこと。がっくり。手立てがない。明日が学校の滞在先の締切日なので、校外のフラットを見に行く。夏なのに天気が悪く、雨が降る。初めて、2階建てのバスに乗る。片道(シングル)1.6ポンド。約320円。結構高い。往復は2.4ポンド。イギリスはバスに乗るとき、運転手に精算してから乗る。おつりもちゃんともらえる。バス内は前側は広々としている。ブライトンの中心地チャーチルスクエアに行く。ちょうど昼でお腹がへっていたので、ピザを屋台で買う。一番安いピザ、1.4ポンド。何をしようかと考えながら広場の前で、人を見ながら、食べる。まだ夢の世界にいるようで、自分がイギリスにいることが不思議だった。その後、フラットのあるキングスロードを歩いてみると、観光客の人ごみと車が行き交う。こんなところだと思ってなかった。自分の中で、ブライトンは片田舎で、ビーチも静かだと思ってたら、人がビーチで埋まっていた。ビーチにはいすが置かれたり、たくさんのショップが並ぶ。アートもある。ロンドンからブライトンに週末はよく人が遊びに来るらしい。ブライトンのビーチの石は聞いていたとおり、大きく、黄土色の石だった。観光地に来ても、スーツケースのことが気になり、おもしろくない。1ポンドで、日本にかけてもほんの数分しか話せない。結構イギリスは日本より高い。そこで、スーツケースが気になり、昨日ブライトンについたバス停に行き、もう一度バス会社の人に交渉する。たまたま話し掛けた人が、バス会社のブライトンのスーパーアドバイザー(ジェームス)で、私の言った話を信じてくれて、荷物があるかどうかいろんなところに携帯から電話し、協力してくれる。ウェンディーは電話をするとき、結構イギリスの電話代は高いとかなりぶつぶつ言ってたが、この人は言わなかった。結局今の時点では分からず、あったらウェンディーの家に電話するとのこと。その後、インフォメーションセンターに行って、ブライトン情報をもらったり、町をぶらぶらした。インターネットは20分で1.5ポンド。(300円)結構高い。意外にブライトンは観光地で高いらしい。夜、家に戻ると、ウェンディーがスーツケースが見つかったことを教えてくれ、ウェンディーに車を運転してもらい、取りに行く。ジェームスになんとお礼を言っていいか分からない。でも、本当にありがたかった。ただ、スーツケースがヒースロー空港で発見されたとき、警察がテロかもしれないので、スーツケースを壊し、しまらなくなった。ウェンディーは車があったんだ。それなのに、昨日迎えに来てくれなかった。そういうシステムになっているのか。どちらにしても、見つかってよかった。夕食を食べるとき、テーブルにレースを敷いているのに、テーブルに傷がつかないようにさらに厚い型紙を敷いて、食べる。イギリスの食事は肉、野菜、茹でたジャガイモがメイン。それが、一皿に持ってある。そして、デザートはイチゴのタルトをよく作る。これも甘すぎずよい。毎日ではないので、太らなくてよい。タルトといっても、タルトの生地は買ってきて、上に自分が作ったクリームとイチゴを乗せるだけで、簡単らしい。私はフォークとナイフがうまく使えないので、日本はあまり使わないのかと聞く。音を立てないように気をつかったのと、同時に肉が切れなかったのでそう見えたらしい。イングリッシュティーはストレートで私は飲んでいるが、やはり現場は最高においしい。ウェンディーはクリーム、砂糖を入れている。私はお腹がいっぱい過ぎて、ストレートで飲む。

8月1日 (月)
学校開始日。ウェンディーが学内で働いているので、車で初日だけ送ってもらう。10分ぐらいとかなり近かった。バスの乗り場も教えてもらう。9時15分開始。最初にジョニーという中国・吉林州出身の人と出会う。あんまり英語がうまく話せない。私の参加するクラスは大学院勉強のための準備コース。プリセッショナル モジュールBコース。初日で、もしかしてフェアウェルパーティがあるかと思い、きちんとしていくと、皆ジーンズ等、ラフな格好で、何でそんな格好なのかと聞かれてしまった。教師っぽい服装になってしまった。教室に集まったメンバーはサマーコースの学生も含め100人以上いた。が、私のコースは50人とのこと。早速、クラスわけのテストがある。リスニングがスピーカーが悪く、聞こえなかった。コーヒータイムにジョニーと一緒に宿の申し込みに行く。一番安いオフキャンパスがあると聞き、最初学内の寮にしてたのだが、即変えて、学外にする。週約50ポンド。でも、今年はその枠がないらしく、安くて60ポンドらしい。学内だと、72ポンド。どっちにしても、冬は自転車でこれないから、どっちもどっちらしい。また、学内だと、昼ご飯に帰れるから楽。また、インターネットも24時間使える。あとで考えると学内のブライトヘルムにするべきだったと後悔し、後から中国人のクラスメートのリリーと変更を申しこむ。初日は、学生証を作ったり、学内を案内してもらう。昼食中、TESLを習いに来ている「ジョシュ」というベトナム人のお父さんとイギリス人のお母さんを持つハーフの女性40歳と知り合う。また、サマーコースに来ているタイ人の「ピーポン」。ピーポンはバンコクの裁判所に勤めているらしい。ほとんどの人が学内の寮にすんでいた。このコースは結構日本人が多い。10人以上はいる。日本人に学内の寮を見せてもらう。3階建ての3階が一番眺めがよく、サセックスの丘「ダウン」がきれいに見える。できたら、3階がいい。皆の部屋を見せてもらう。

2日(火)
 図書館やコンピューターの使い方を習う。また、プレースメントテストのライティングの結果、2クラスになる。先生は午前がプリスィラ・午後がジェーン。二人とも教え方がうまい。プリスィラは31歳で、年も近いが、かなり知識があり、教え方がうまい。教えるというか、自ら考えさせ、導いていく。ジェーンは静かに話すが、頭が冴えている。二人の先生は一番いいらしい。
 放課後、ブライトンの昔の若者たち(ドラッグなどの暴力的な)のビデオがあるらしく、ピーポンの家に泊まろうとしたが、5時半までに会えず、結局やめる。でも、内容がおもしろくないらしく、やめてよかった。ピーポンに会うまで、クラスメートの韓国人「キソ」の寮に遊びに行く。でも、キソはジムに行くため、寮メイトのジャン(インドネシア人)、サイモン(イタリア)、バレリアーノ(フィリピン人)が相手をしてくれる。

3日(水)
 初めて本格的な大人数の講義を聴く。「メディア・インターネット」についてだった。
内容は興味がなかったが、まだまだ講義はついていけないと思った。リスニングが難しかった。そのフィードバックを講義後プリシラとする。そして、今回の反省をふまえて、私たちに必要なことをメニューに加えてくれるらしい。
 午後は初めて、校外へ小旅行。セブンシスターズというチョークの石でできた断崖を見に行く。電車で20分ぐらいと、電車だと速い。4ポンド。かなり、丘の上は風がつよかったが、丘が一面に広がり、景色がきれいだった。平日ということもあり、そんなに人もいなくてよかった。また、ビーチもブライトンと違い、おちついていて、よかった。海の青と断崖の白、丘の緑のコントラストがとてもきれいだった。サマーコースで来ている中国系アメリカ人「ルーシー」と出会う。見かけはアジア人なのに、アメリカイングリッシュはネイティブ。サマーイングリッシュコースの「アンジェラ」(イタリア人)と会う。ぽっちゃりして大きいけど、声が高く、かわいい。ソーシャルアクティビティのスタッフで卒業したばかりのサラ(ロンドンっ子)とチェス(これから社会学か歴史の博士をとり、海外に飛び立つらしい)が案内してくれた。
結構、電車の駅から歩き、往復で疲れ、家に帰るとバタンキュー!

4日(木)
午前中の授業が長く、お腹がすく。授業:9:15~10:45,コーヒーブレーク 11:15~12:45 昼食 2:00~4:00 学内の食堂はたくさんあるが、結構高く、一度の食事が400円は超える。400円から600円ぐらい。日本の学食だと、400円以下。だから、寮の人は帰って食事をするか、お弁当を持ってきている。その方が安上がり。今日、早速、参考文献の注釈の宿題が出る。自分でトピックを決めて、月曜日までに提出。はっきり言って、時間がない。4時までは色々と手続きで忙しく、何もできない。それから、本を探しても5時半に図書館がしまるので、かなり厳しい。国際教育コースの青木さんに会う。キングスロードのオフキャンパスを見せてもらう。とてもにぎやかな道路沿いにあるのが、難点だけど、それ以外は最高によい。マンションのように中がきれいで、院生しかいないので、友達の輪が広がるらしい。約150人ぐらいいるらしい。青木さんは以前、JICAでガテマラにいて、その後、カンボジアのバッタンボンに1年間NGOで働いていたらしく、卒論はカンボジアの孤児関係をするらしく、正に私が勉強しようとしていることと重なっている。コースの生徒10人中6人は日本人らしい。今年入ってくる人は青木さんの後輩らしい。ロンドン大学の教育研究所のコースは教育が有名らしい。でも、サセックスでよかったとのこと。青木さんは以前大学で勉強していたとき、留学した経験があるので、IELTSは7か7.5ぐらいとれたので、プリセッショナルには来なかったとのこと。でも、来ていたほうがよかったとのこと。それにしても、IELTSをカンボジアで受けたとは驚きだ。その後、町にあるタイレストランを探し、「タイスパイシー」という店に入る。鶏のバジル炒めがご飯代別で7.5もした。1500円。高い。びっくりした。タイ人は3人いて。一人は中華系女性。その旦那がウドン出身者。ウェイトレスの子はバンコク出身。英語を勉強しているらしい。20歳?だったかな。私がラオ語を話すと驚いていた。事前に知らせたら、ゲ・ノーマーイを作ってくれるとのこと。ご飯を食べた後も10時ぐらいまで、話が尽きない。ランチは3.99だから、今度はランチに行こうと思う。

5日(金)
金曜日は授業は午前だけ。午後から、フリーイングリッシュレッスンが英語教授法を学んでいる学習者から受けるクラスがあり、それに出る。ちょうど、教授法を勉強して、4日目ということで、まだ慣れていない。そのクラスの中で、ウゴ(メキシコ人:大学院生で今年卒業)、バーバラ(イタリア人:サマーコース)、ミケーラ(イタリア人)と知り合う。違う所で、知り合いができる。プリセッショナルのメンバーは宿題に奔走して、図書館にいた。私は図書館で本が見つからず、IDSの図書館に行く。でも、5時過ぎていたので、貸し出しは終わっていたので、図書館内で読むだけ。9時まで利用できる。ただし、IDSの生徒ではないので、鍵がないので、5時を過ぎると、出入りができない。そこで、図書館スタッフのバイトをしているアー(ミャンマー人)と知り合う。ちょうどカンチャナブリの国境の町まで来たことがあるらしく話が合う。水・木・金と当番らしい。院で政治を学んでいるらしい。

6日(土):原爆の日
 学校で、インターネットをして、オフキャンパスの家を見に行く。やはりオフキャンパスをやめようかどうしようか、決断のために行く。その前にナショナル・エキスプレスのバス会社のジェームスにバスチケットを見せたり、質問を受けたりした。今後の弁償のために、ジェームスが協力してくれたので、日本の土産、お茶を渡す。この日はゲイの誇りをたたえるパレードが市内で午前中あったらしく、派手なコスチュームを着た人や、ゲイ・レズビアンのカップルが堂々と町を歩いている。特に新聞で、ゲイ・レズビアンを擁護する人はシンボルとしてピンクの物を身につけてくるように書いてあったので、ピンク系の物をつけた人が多かった。また、ゲイのシンボルはレインボウカラーで、その布をまとっている人もいた。私が行ったのは午後だったけど、まだたくさんの人がいた。人ごみの後をついて行き、たまたまプリストンパークに着く。そこが、パレードのゴールなんだろう。アミューズメントパークの乗り物やキャンピングカーで食べ物を売ったり、たくさんの屋台が出ていた。人々は芝生の上に座って、どんちゃん騒ぎ。とにかくにぎやかだった。その後、目的だったオフキャンの宿を見に行く。まだ、住んでいる人がいて、部屋の中を見せてもらうと、部屋によって、広さが違った。大きな部屋の人は普通の家のリビングのような部屋で、窓も大きく天井が高く、豪華だった。そこに住んでいる人たちは絶対オフキャンが言いといっていた。特に自分たちのフラットが言いと。1件目の場所は、静かな住宅街にあり、よかったが、キッチンが汚かった。(ウィデュシェルム)2件目の家は高台にあるので、2階だと、海や町が見渡せ、絶景。しかも、部屋もかなり広くよかった。お姫様の部屋という感じで、そこが一番よかった。フラットの中に、たくさんシャワールームやトイレがあったのと何よりきれい、そこも静かで、よかった。(ビクトリア ロード) たまたま、その家を見せてもらったとき、ルーベン(メキシコ人)と知り合う。インド人かと最初思った。原爆の日で、この日クイーンズパークでキャンドルセレモニーがあることを伝えると、行きたいとのことで、いっしょに行く事にする。残念なことにルーベンは月曜日にメキシコにすぐ帰る。クイーンズパークは丘の上にあり、かなり歩いた。話しながらだったので、楽だった。広島の灯篭流しのように大きなイベントだと期待していったのに、行ってみると公園の隅に小さな50人ぐらいのグループがいた。「女性の権力を守ろう会」のような会で高齢の女性が集まっていた。そこには、国連職員、サセックス大の出身者が来ていて、スピーチをした。そして、日本人の女性もスピーチをした。彼女は4年間イギリスに住み、芸術をブライトン大学で学び卒業した。愛媛出身、31歳。愛さんだった。その後、その団体の女性が、私が広島出身だと打ち明けると、話が聞きたかったと後から言われた。でも、偶然ウェンディーから今日のことを聞き、駆けつけたので、お互いが知らなかった。残念がられた。日本人好きそうな愛さんの友達3人と最後話し、帰る。

7日(日)
 本当はカンタベリーに行く予定がドタキャン。宿題が終わってないので、行かないことにする。図書館が午後空いていたので、図書館で、本を探し、やっと宿題に取り掛かる。成績の30%が今回の宿題なので、必ずやらないといけない。大変だ。終わらせていなかったから、仕方がない。

8日(月)
 宿題の書き方を、提出1時間前になって、ジェーンが教えだす。早く言ってくれればいいのに。4時10分前にぎりぎりセーフでキソと宿題を提出。

9日(火)
 インターナショナル・フード・フェスティバル。ももこ、ありさと一緒にといっても、ほとんど何もしていないが、てんぷらを作る。最初参加する予定はなかったが、ほとんどの人がちゃんと作って参加していた。今度は自分もレパートリーを見つけて、参加しようと思う。その後、次の日のプレゼンテーションのために10時過ぎまで残り、インターネット検索をする。

10日(水)
 午後から、ロイヤル・パビリオンに行く。ドイツ人の先生がブライトンの町など歴史を説明しながら、案内する。もともとブライトンは漁師の町だったらしく、小さな家や細いとおりが多いらしい。また、丘の上に協会があり、町全体が見渡せるようになっている。ロイヤル・パビリオンはみかけはモスクなのに、中身はウエスタン・中国など、オリエンタルのものを取り入れ、インターナショナルな作りになっていた。ただ、イギリス人が作ったので、竹の偽物などのフェイクが多かった。国王が好きだったらしい。また、国王の避暑地として、ブライトンは気に入られ、離宮として建てたらしい。1.25ポンドのガラスの指輪を買ったのに、トイレで手を洗ったら、こわれてしまった。パビリオンの庭園にある建物は、昔馬を収容していたらしいが、そこでサセックスの卒業証を授与される場所らしい。また、博物館は無料で、見れるらしい。中庭では人々が芝生の上でくつろいでいた。とにかく、人の多さに驚いた。もた、子供たちにマジックをするおじさんがいて、子供が楽しそうに参加していた。最高によかった。私たち大人でも楽しめるマジックだった。
11日(木)
  ロンドンにミュージカルを見に行った。「Far Pavilion」といって、インド人プリンセスとイギリス人のラブストーリーだった。一番前の席で、見た。ステージの手前の下で、オーケストラが音楽を奏でた。音楽も芝居も、舞台も、ダンスも全てが最高によく感動して涙が出た。やはり、日本とは質が違って、全く飽きることなく最後まで見れた。

12日(金)
   愛さんとチャーチルスクエアの本屋の2階のスターバックスで話に花を咲かせる。お互い共通点があり、楽しかった。愛さんは手相を見るのがうまく、本当に当たっているので、恐かった。

13日(土)
 とにかく何もしたくなく、ゆっくりすごした。親に電話をした。1時間話したのに3ポンドぐらいしかかからず、安かった。
14日(日)
10時半に起きた。キングスロードのオフキャンパスのフラットに行き、自転車を見る。30ポンドと50ポンドの自転車があり、50ポンドの自転車に惹かれたが、結局決心がつかず、帰る。99ペンスショップの前のかばん屋に行き、スーツケース85ポンドが50ポンドに値下がっていたので、購入する。偶然その店のスタッフがインドネシア人で、インドネシアの友人を連れてこいと言われた。その後、市内でカレドに会う。一緒に帰る。カレドはヨルダン人でクラスメート。町、パブ、ファッションが大好き。金曜日の夜から今日まで、デイビッド(イタリア人)と遊んでいたらしい。カレドは法律を専攻しているが、遊ぶことが大好きで、キングスロードのフラットに応募したらしい。その後夕食をウェンディの次男サムとその彼女チェシー(歌手でCDを一枚出しているらしい、18歳なのに、大人っぽく色気があった)、三男ジョシュ、ウェンディとトラディショナルな日曜日の夕食らしい食事を食べる。一枚の皿にチキンとポテト、茹で野菜が盛ってあった。飲み物はワイン。私は夜学校に行くので、控える。夜出かけるのは危ないので、近所のカレドを誘う。ところが、26番のバスが来ず、結局5Bに変更し、いったん市内に出て、学校に向かうので、1時間半ぐらいかかった。そして、その後結局メールを送るのに忙しく、宿題はプリントアウトだけし、帰宅。

15日(月)
力が抜けて、宿題せずに登校。初めて。やはり、宿題をしていないと、授業になかなかついていけないし、おもしろくない。昼食はリリー(中国人)と食べる。図書の本を返していないことを思い出す。一日送れるごとに1ポンド取られるらしい。急いで、家にとりに帰るが一分間に合わず、ライブラリアンに1時間1ポンド必要だといわれた。私は冗談だと思ってたら、私が借りた本は予約が必要な大切な論文なので、2,3日しか借りられず1時間につき、一ポンドかかるらしい。すごくショック!!! そのことをサム(TESLコース、ロンドンっ子)に話す。彼にブーメランを教えてもらう。

16日(火)
8時に起床。約9時間半睡眠。かなり、疲れがたまっていて、日本での本性が出てきた。昨日、おもいっきり部屋をよごして、寝た。ウェンディも驚いていた。走ってバスに今日もぎりぎりセイフ。授業は午前中がプリシラの授業。彼女の授業はクリエイティブで、頭がきれる。いつもフィードバックを与えてくれ、毎日が大切だ。午後はジェーンの授業。彼女は頭がきれ、論理立てた授業。でも、少し退屈。いつも30分前に終わるのでラッキー。というか、宿題のための自主勉強時間だが、毎日忙しいので、自主勉強はできない。図書館に行き、昨日1日送れた本について、どうにか多額のお金を払わなくていいように交渉。明日結果を教えるとのこと。やはり、動いてみる価値があった。ハウジングオフィスにも行ったが、
2週間後の手紙を待てとのこと。今日初めて国内に手紙を出した。30ペンス(速達)とやすかった。もし、速達でなければ26ペンスらしい。そんなに変わらない。昼食時間、広島出身の一年先輩の井川さんに会い、いろいろと話をする。彼女はIDSのジェンダーコース。私が応募したもう一つのコースだ。廿日市出身らしい。どうやら、国際教育コースは他のコースに比べて、かなり教授が厳しいらしい。やっていけるか不安だ。彼女は世界銀行から奨学金をもらったらしい。うらやましい。図書館カードを3ポンドで買い取った。他にCDプレーヤーをただでくれるらしいのでラッキー。いろいろと彼女に聞くと、やはりキャンパス内はおもしろくないらしい。色々とシニアから話が聞けて、私はラッキーらしい。ラッキー。早く来てよかった。このプリセッショナルコースはとても役に立つらしい。よかった。今日、初めてウェンディに夕食(親子丼)を作る。少し味が薄かったが、彼女は喜んでいた。よかった。他にもできたら、作ってあげたい。残りあと2週間をきった。早い。イギリスに来て、3週間を迎えようとしている。私が今、住んでいるところはパッチャムといって、市内と学校の間にある。学校からは車で10分ぐらい。ただ、丘があるので、自転車で行くのはきつい。バスで片道1.6ポンド。往復2.4ポンド。ただし、学生割引1週間券は10ポンドと安い。3ヶ月チケットだと90ポンド。結構このおかげで、市内と家と学校を何度も行き来している。行動範囲が広くなっている。

食にこだわるイギリス人は珍しい?珍しくない?

最近、イギリス人の性質が分からなくなった。 今まで、イギリス人で本当に料理をする人は少ないと思っていた。現にそう新聞で報道されていた。しかし、、、私の周りのイギリス人は食にこだわっている人ばかり。実際、イギリス人は食にこだわっているのか、それとも私の周りに人物が特殊で、私がたまたまそういう人とばかり出会っているのか、ふと最近疑問に思った。というのは、最近またもや新居に引っ越し、現在3人で家を借りて住んでいる。(こういったシェア:一軒家もしくはアパートなどの共同生活はイギリスでは一般的だ。部屋は別でキッチンとトイレ・バスが共同。日本でいう寮の形式だ。)ハウスメイトの一人がイギリス人男性なのだが、ある日彼がかなりの物音を立てがちゃがちゃとキッチンで何かをしていた。私は論文に没頭していて全く気にならなかったのだが、たまたまキッチンに行ったとき、彼がチーズケーキを仕上げていたのを発見。びっくり!!男の人が最初からチーズケーキを作っていた。特別な簡単即席のものではなく、一から作っていた。どうりで、あの音。そこから疑問が湧いた。イギリス人男性はケーキから料理から全て作るのか。しかも、彼は彼の娘たちが来たとき、いつも料理を一から作っていた。私が以前働いていたご夫婦も旦那さんが元レストランのシェフで、かなり凝った調味料を使い、とてもおいしい料理を教えてくれた。奥さんではなく、旦那さんが作っていた。しかも、うまいし凝っている。また、日本語の生徒もよく料理をするらしく、スーパーでの買い物が楽しいらしく、凝っていそうな感じ。食にこだわっているのはクリスとその類をよぶクリス友人だけかと思うと、その他にもぞくぞくといた。ただし、男性。女性はあまり知らない。クラスメイトの二人のイギリス人はちゃんと作っているみたいだ。そのうち一人は超おいしいパキスタンカレーが作れる。イギリス人は一般的に実は食にこだわっているのか?ただ、スーパーで切った野菜が袋に入れられ売られているのは気に食わない。しかも売れている。実際どうなんだ?

スコットランド旅行


                     ロックロモンド


               エジンバラ城から見たエジンバラ市内の景色


                スコットランドの伝統的衣装をまとったバグパイプ奏者

 春休み、1万語の論文を書くために与えられた時間をしばしスコットランド旅行に充てる。1ヶ月のうちの中5日間だから、そんなに論文には害を与えないだろうと予測し、航空券など手配したもののいざ出発前、チューター(担当教授)との面接が急遽組まれたり、論文のドラフト提出をちょうどスコットランド旅行から帰ってすぐ提出命令を出されたりと何度旅行をキャンセルしようと思ったことか。友人に今回はキャンセルすると言って、キャンセルは出来ないと説得され、それを何回か出発前に繰り返し、少し嫌な予感がした旅行だった。
初日のスコットランドは最高。期待通り緑豊かな自然にとても歴史深い建物が上手く調和されているまさにハリーポッターの著者J.K.ローリンズがいそうなところだ。現に住んでいるらしい。初日に旅行メンバー6人でレンタカー、5日分の食糧を調達し、イギリス人助っ人クリスのお父さんのコテージに向かう。なんだか田舎景色はブライトンと変わらない地平線に広がる緩やかな丘が広がっていた。そして、モダンな風車がかわいく回っていた。とにかく、スコットランドの芝生はブライトンに比べ鮮やかな緑色で、とても自然を感じさせられる。貴重な歴史的な古い建物よりも芝生に感激していたが、友人らは皆私の感嘆ぶりにしらけていた。何でそんなに緑に目がいくのか。君は前世馬だったんじゃないかと。そんなに言われても全く気にならず、芝生に感動。イギリス国内の航空券(ロンドンからスコットランド)は60パウンド(約1万2千円)で購入。格安チケットなので、早朝に出発したため、スコットランドでスコットランドの朝食をとる。かなり期待したが、肝心のイギリス人クリスが頼まなかったのを見習うべきだった。彼はかなり食にこだわりを持つ珍しい?(後で食のこだわりについて記述)イギリス人だ。出てきたものは全て油物。2,3種類のソーセージ、フライドエッグ、フライドポテト、とにかく油、油。癒せるものは食パン?どうりで、ここの喫茶店は油物好きの中年男性で占められ、女性といえば、中年女性が一人という日本でいうまさに「喫茶店」だった。気を取り直し、コテージに行く。コテージといえば、田舎の森にある山小屋というイメージだったが、普通の道沿いにある古い家だった。しかし!!!!中は立派な別荘!!寝室3部屋(内天窓部屋二つ)、リビング、キッチン、ガーデン、バス・トイレ二つと最高に内装、家具全てがおしゃれで、新しい!!これはまさに別荘だった。しかもただ!!!こんなラッキーなことはない。
そんな有頂天な中、二日目はエジンバラ市内の観光。しかも、またまたラッキーなことにこの日4月1日は週末でエジンバラの文化推奨日(?)でエジンバラ市内の観光地全て無料入場。よって、エジンバラ市内の観光地で超有名な崖に囲まれた丘の上にたつエジンバラ城に行く。通常1800円もする入場料がただ。喜んでいくと、すごい行列だった。しかし意外にスムーズに行列は流れた。しかし、中の建物は人が一杯で、城の建物の中には入らず、周りだけ見学。その後町を歩く。バグパイプを道で吹いている伝統的なスコティッシュキルトのスカートをはいている男性に出くわし、しばし見学。帰りはクリスのお父さんの家に行き、パスタをよばれ、スコットランド語で書かれた詩を皆で交代に朗読。急に悪寒がした。
3日目。あまりにも有頂天で、ダウン。突然風邪をひき、夜ダウン。ところが、朝突然回復。しかし、この日は念のため、丸一日コテージで休むことにする。というか、論文をコテージで書くために持ってきた何十冊の本たちを読んであげないといけなかった。といいながら、結局睡眠。夜はクリスのお父さん夫婦に日本食(巻き寿司、いなり、カレーライス)を振舞う。大喜びで帰られる。
4日目、ロックロモンド(ロモンド湖;ロックはスコットランド語で「湖」らしい)というハイランド(スコットランドの名所の一つ)の入り口に当たる場所に行く。そこで、ハイキングをする。日本のハイキング場と違って、あまり立派なハイキング用の道は築かれていない。途中で道がなくなったりした。ロックロモンドの丘(イギリス人は山といったが、日本人にとってはこの標高の低さは丘としか思えない)を登ると、辺りいったいを見渡せ、湖、丘、眼前に広がる景色は絶景だった。まさにネットでみた写真の風景だった。ただ、雲が頭上を走り、雨がすぐに降るとのことで、急いで丘を降りる。私はまたもやはしゃぎすぎ、走って、駈けずり降りていたら、転ぶどころか体がひっくり返った。ジーンズは泥だらけ。最悪。しかも、太もも大打撃。スキー場で転ぶあの痛さと同じだ。昨日から悪いこと続きだ。コテージに帰ると、太ももが紫にはれ上がっていた。
5日目、あっという間にスコットランド旅行が終わる。昼前出発。途中で、携帯をコテージに取りに帰ると、何と貴重な論文などの資料が入っているメモリースティックもコテージに忘れていて、取りに帰ってよかった。飛行機に乗ると、またもや携帯不明。かばんを開けっ放しで歩いていた。携帯がないと、もはや不便な生活になってきた。全ての連絡先、特に仕事関係が入っていて、かなり厳しい。とにかく、気持ちを落ち着けるために機内で瞑想。ガトウィック空港(ブライトンから一番近い空港)に着き、友人に携帯を鳴らしてもらうと、私の携帯が何と他のかばんの中に。救われた。と、なんだか今回は踏んだりけったりの旅立った。帰ってからは論文のためほとんど家に閉じこもり、論文を仕上げるはめに。家に一日中閉じこもっても論文を満足いくように仕上げる時間は全く足りなかった。はあっ…・・・