Sunday, February 05, 2006

映画「芸者の伝記(Memoirs of Geisha)」の感想

「芸者の伝記」日本語でこう呼ばれているのか分からないが、英語のタイトルを訳すとこうなる。日本の芸者の伝記の映画をアメリカが製作した。主役は中国人 の名女優二人、そしてその他キャストに中国人役者、工藤夕貴、桃井かおり、渡辺謙、役所広司登場。と、日本人が脇役になる。この映画は、芸者になる過程、 芸者になってからの困難、戦後の芸者が描かれた作品だった。内容は実際、あったことかどうかは分からないが、実際あったとしたら日本では公にはなっていな い秘話だ。また、日本で知られている芸者の美が、この映画ではセクシーさが美となり、踊りや振る舞いが大胆なものになり、恥ずかしさをこめた内にこもるし とやかな美が感じられなかった。(少し、日本舞踊をかじったことのある私は納得がいかなかった。)また、ヘアスタイル、着物は西洋人好みのものになってい た。着物の着方も、日本人の体に合った美しい着こなしが出来ていない。とだめだしをしても仕方がない。では、よかった面は、ときどき日本の小さな通りから なる町並みがうまく描写されていた。特に建築、家の中の雰囲気はよかった。照明、小道具、舞台設定、そして音楽はよかった。琴、たいこ、三味線などの日本 の伝統的な楽器とストーリーがとても合い、画面にくぎ付けになり、観客席からはポテトチップスやポップコーンなどの食べる音が全く聞こえなかった。もちろ ん、自分も全く手につけなかった。日本の音楽は一つ一つの楽器の音がとてもドラマチックでかっこよかった。といい面を言ったが、このストーリーは芸者が売 春婦のようなステイタスに位置付けられたり、子供が芸者になるために親に売られ、置屋に連れられたりと、私にとっては悲しいストーリーだった。日本人は もっとよい芸者の面を知っているし、本当の芸者の美が表現されていないので、恐らく批判が多い作品となるだろう。次回は日本のプロダクションが製作する作 品に期待したい。

初めてのチョコレートケーキはタイムオーバー!

昨日、初めてチョコレートケーキを作った。作ったこともないのに、今日のロズマリー(元雇い主、兼イギリスのお母さん)の誕生日会にはチョコレートケーキ を作っていくと豪語した。ということで、前日にリハーサルを行う。午前はついゆっくり時間を過ごし(ピアノを弾いていたら、時間があっという間に過ぎてい た)、ケーキを作るのを忘れてしまった。さて、作ろうと思ったときにはすでに2時。日本語のクラスが4時から。でも、不可能ではない。不可能であっても、 その可能性にチャレンジせずにはいられないのが、私なのだ。まずは2時からキャンパス内の店で卵を購入。たまたま友人から電話がかかり、この時間帯に作る のは無理と言ったが、人生不可能なことはないと信じ、ケーキ作りにとりかかる。まずは卵黄3つに砂糖40g、、、、えーーーっと、40g。 えーーーー!!??量りがない!!!そんなばかな。どうやって量を量ればいいんだ。全く分からない。即私のヘルパーに連絡を取る。ヘルパーの経験から、大 さじ1杯約8gとのこと。じゃ、大さじ大盛り10g計算で、ケーキ作り再開。チョコレートを溶かし、牛乳を混ぜ、小麦粉を加え、何と順調に作れている。こ の調子だと余裕で、時間内に終わらせられる。最後に卵白と砂糖を混ぜ、メレンゲを作り、混ぜれば終わり。簡単だ。と思ったが、またまた大ピンチ!!卵白と 砂糖を混ぜても混ぜてもメレンゲにならない。腕がつりそうになるぐらいまで必死で混ぜる。それでもだめだ。全くゴールが見えてこない。日本ではいつも機械 を使いこんな思いをしたことがなかった。こんなことをしていたら、終わらない。途中で諦め、オーブンに入れる。これで、後は40分待つだけ。しかし、20 分しかない。20分後オーブンの電源を切り、ケーキ作りを無理やり中断し、日本語クラスへ向かう。タイマーの使い方が分からないし、電源を付けっぱなしで 行くのは気が引け、電源を切った。こうして、私の初のチョコレートケーキはタイムオーバーに終わった。その後用事を済ませ、家に帰ると、チョコレートケー キが見かけはみすぼらしいけれど、ちゃんと膨らんでいた。食べてみると、上半分がまだ焼けてないけれど、ババロアみたいで、なかなかおいしかった。夜一人 で半分食べる。でぶへの道、まっしぐらだ。
 翌日、チョコレートケーキ本番日。私はいつもぎりぎりにならないと行動しないタイプで、またもや出発時間3時間前にケーキ作りに取りかかる。やっぱり、 メレンゲで止まった。今日は諦めずにメレンゲを作ろう。しかし、やっぱり混ぜても混ぜてもメレンゲが出来ない。必死になってかき混ぜる。おーーーっと。 とっても滑らかなメレンゲが出来てきた。しかし、時間がない。最後の要、メレンゲの角が立たない!これが立たないとケーキは失敗に終わる。でも、もう限界 だ。角を立たせずオーブンに入れ、今度は40分焼く。おーーー。見事な色の仕上がりだ。おいしそうなチョコレートケーキ完成。味は甘すぎずまあまあだが、 見かけはよい。とりあえず、ごまかせそうだ。チョコレートケーキをかばんにいれ、駅へダッシュ!今日は時間通りロズマリーの家に到着できそうだ。
 ロズマリー夫婦は、無事私のチョコレートケーキを喜んでくれた。今週末はチョコレートケーキ騒動をした週末となった。とりあえず、全てが無事完了し、今日は熟睡できそうだ。

Wednesday, February 01, 2006

Stockholm in Sweden














ブリティッシュファンシードレスパーティ; 私の友人は変わっていた

友人が「ブリティッシュファンシードレスパーティ」に呼んでくれた。「ファンシー」ってどんな意味?「普通とは変わった格好」。そして、ブリティッシュだ から、イギリスを思わせる服装。「イギリスといえば、フィッシュ&チップスだからフィッシュ&チップスになったら?」「え?それがファンシー?」「う ん。」辞書で確認すると、ファンシーは「空想、想像、思いつき、気まぐれの、とっぴな、変わり模様の」だった。ある女の子曰く、「自分の好きな格好で、普 段出来ない格好」。どんな格好で行けばよいのか分からず、適当にある物を重ねて行こうとしたが、結局おしゃれをする時間がなく、普通の格好で行く。する と、シャーロックホームズやイギリスの国旗のピチピチワンピースを着た女の子、スコットランドのタータンチェック模様の帽子とマフラーの女の子、白い衣装 に赤いたすきの男の子(スコットランドの衣装?)、フォーマルスーツの人、舞台に出てきそうな昔の兵士の服装の人などいた。そっか。こんな服装のことを 「ファンシー」というのか、やっと納得。その中で一人浮いていたクリス君。彼は女装してセクシーナース(超ミニスカートの衣装に赤い網ストッキングと高い ハイヒールを履いた看護婦)になっていた。このパーティで、セクシーをアピールしたダンスを踊っていた。えーーーーーーーーー!?

ブライトンは最高!





ブライトンから少し車で北に行くと、「アッシュダウン」というハイキングができる丘がある。丘の上からは4つの郡が展望できるという絶景で、景色が広がっ ている。ここイーストサセックスには山がなく、丘が広がり、景色を360度見渡せる。夕日がとても大きく近く感じられた。

またもやピンチ再来!!


 冬休みは遊びすぎた。実はタームペーパーといって、学期終了後私たちには7000語の論文が待っていたのだ。クラスメイトの「とも」曰く、私たちにとっ ては大晦日をカウントダウンするよりも、論文締切日(12日)の方をカウントダウンしていると言っていたが、まさにその通りだった。後から後悔!自分の本 分をまたもや忘れ、自分を解放してしまった。お正月後は12日までほとんど自宅にこもり、冷蔵庫の中が最終日には空っぽ状態になるまで、こもっていた。慌 てて、毎日一夜漬け状態で書いたので、内容的には満足はいっていないが、とりあえず提出時間20分前(3時40分)に滑り込み提出。テーマは大学時代の卒 論と同じ「児童労働」。今回はカンボジアにテーマをしぼった。また、英語のチェックもネイティブにしてもらい、前回11月に書いた3000語の論文よりも 内容的にはましかな。4月には10,000語とどんどん論文の量が増えていく。毎回論文を終え、思うのだが、次回は早めに準備しようというのが、私の課題 だ。
 さて、論文を提出し、クラスメイトと論文完了を祝おうということで、5時に学内のバーに行くと、誰もいない。実は私が論文提出したのは最後で、たまたま 会ったクラスメイトのバングラデシュ人アプナンとパキスタン人カンはその打ち上げの事を知らなかった。言いだしっぺのイギリス人リンは、私が学校に行った ときにはいなく、確認できなかった。実は私が一番最後に提出したので、学校に行ったときにはクラスメイトはもう帰っていて周りはしーんとしていた。遅すぎ た?それにしても、折角論文が完成し、自由の身になれるというのに、パーティをせずに寝てしまうのはもったいない(ほとんどのクラスメイトは睡眠不足で即 寝たとの事。私は1日4時間睡眠をとれば、毎日睡眠不足に困らず勉強できるという生活リズムを編み出し、あまり睡眠不足ではなかった)。ということで、友 人を探しにビールをかばんに入れ、キャンパス内の寮に住んでいる友人を訪れたが、実は私の学部以外の学部は論文締め切りが16日ということで、皆論文完成 の真っ只中で相手をしてもらえなかった。仕方なく、人が集まっている明るい電気のある方へ歩いていった(学内のスーパー)。やっぱり私の感はあたった。友 人ソウヘイ(レバノン人)に出会ったのだ。彼は語学交換をしている生徒で、彼からフランス語を習っている。しかし、いつも語学ではなく、料理を作って食事 をして、授業が終わっていて、未だに挨拶しか出来ない。ソウヘイは学部生なので論文を書かなくてよい。誰か一緒に祝ってくれる友人を探しているのだという 話をし、ソウヘイからの言葉を期待していると、(というか無理やり私が言わせた?)ソウヘイは言ってくれた。「じゃ、一緒に祝ってあげるよ。」ということ で、ソウヘイの住んでいる「ルイスコート」というキャンパス内の寮に行き、ソウヘイが作ったスパゲティをごちそうになり、ビールで乾杯。ソウヘイの部屋は 1ヶ月92パウンドでシャワー付きのかなり広いスペースのフラットに住んでいる。ここは障害者が車椅子で移動できるように特に廊下の幅を広く設計されてい る。ソウヘイの部屋には大きなCDコンポがあった。フランスから持ち込んだとの事。大きなスピーカーがあり、音が明瞭でノートパソコンからの音楽がとても きれいに響いた。ソウヘイはのりのりで音楽を聞いていて、レバノンの音楽など色々聞かせてくれたが、どうも私が好きな音楽がなく、ソウヘイはちょっと困っ ていた。その後、ソウヘイはフラットメイトと市内に出るということで、帰宅。家に帰るとスペイン人のアンナとシルビオが来てくれ、私の論文完了を祝ってく れた。いいタイミングで現れてくれた。

大晦日 & 音楽家たち


































大晦日に友人を呼び私の住んでいる住居でホームパーティを開いた。私の友人や友人の友人などで20人ぐらい集まった。イギリスでは家が広いので、よくホー ムパーティがある。私もコモンルームという共同の広いリビングがあるので、ホームパーティを開いてみた。この日は外国人から大好評のお手軽カレーライスな どを作った。招かれた人はだいたいワインなど持ってきてくれるので、その他飲み物、デザートが勢ぞろいした。パーティでは知らない人とかいるので、話をし たりして、適当に個人個人楽しみアットホームだった。また、この日は友人の新たな音楽能力を発見した日でもあった。クラスメイトのインドネシア出身ジャン 君は楽譜なしで、自分が覚えている曲をアドリブでピアノを弾いた。しかも、終わりがなく、いつまでも続く。時に歌いながら、そしてまたギターまで弾いてし まったのだ。ジャン君を知っている友人たちは感動!ジャン君は家にピアノはなく、音を聞いて覚えたらしい。たぶん学校や教会で練習したのだろう。ジャン君 はインドネシア出身だが珍しく(?)キリスト教を信仰している。小さいときから教会で音楽を聞いていて、音楽を聞くといつも音を想像して、その音が出てく るらしい。私は小さいときから楽譜を見てピアノを弾いてきたので、このような音を創造したり、アドリブで弾くことが出来ないので、とても刺激になった。い つかはジャン君みたいに自由にピアノを弾きこなしたい。また、多彩な能力の持ち主イギリス人のクリス君は自分が作曲、作詞したという歌をギターで弾き語っ た。彼は自分の歌をCDにし、市場には売り出していないものの自分のCDがある。こんなことがイギリスでは簡単にできている。日本ではプロフェッショナル とアマチュアにはかなりの溝があるが、イギリスでは自分がしたいことを自由にしていて、ここブライトンにはこんな自由なアーティストが多い。というか、ク リス君の周りにたくさんいる。
 そして、カウントダウン直前にクリス君のアーティストの友人の家でのカウントダウンパーティに皆で合流する。滑り 込みセーフで到着!家と聞いていたが、 ついてみると、バーのように人がいて(多分100人以上)、家だとは思えなかった。でも、中はとてもおしゃれなインテリアで、とってもあったかい。そこで 人々はビールを片手に踊っていた。ワオ!!カウントダウンの時間になり、カウントダウンを終え、皆でキスをし合い、「蛍の光」の英語バージョンを皆で歌っ た。これはスコットランド地方の民謡らしい。深夜を過ぎると自称ミュージシャンたちがとっても素敵な音楽を披露してくれた。皆自由にアドリブで最高の音楽 を奏でた。特に私はハーモニカとアコーディオンの音が気に入った。プロもアマチュアも線引きがなく、彼らは立派なミュージシャンだった。最初ミュージシャ ンと聞き、プロのこてこてのミュージシャンを想像したが、ここイギリスでは音楽に関わって、音を奏で音楽が好きな人をミュージシャンと呼んでいる。こうい う自由なスタイルが大好きだ。しかも、おじさんから若者まで勢ぞろいし、年齢を気にしないイギリス人。皆若い。日本人もこういう点は学ばなければならない と一人で感心していた。年齢に気をとらわれず、かっこいいおばさんに将来なりたいものだ。(一応、今は若者のカテゴリーに入っているつもり)